生活が乱れると、人生の主導権も乱れる

生活が乱れると、人生の主導権も乱れる

こんにちは。ごきげんライフ探求家のつむくんです。

僕は、人生で一番大事なのは「ごきげん」だと思っています。
ただ、ここで言うごきげんは、ただ楽しいとか、ポジティブとか、そういう意味ではありません。

僕の中でのごきげんは、自分の人生の主導権を握れている感覚です。

自分がやりたいことに時間を使えている。
意味を感じることにエネルギーを使えている。
そういう状態で生きているとき、人はかなりごきげんになります。

逆に、やりたくないことに時間を使っていたり、モヤモヤすることをずっと考え続けていたり、小さな不快が積み重なっていたりすると、人生の主導権は少しずつ乱れていきます。

そして僕の感覚では、その主導権を乱す原因のかなり大きな部分が、実は「生活」にあります。

今回は、その話を書いてみようと思います。

主導権は、意志の強さだけでは保てない

人はよく、「気合いが足りない」とか「もっと頑張ればいい」とか、そういう言い方をします。
でも僕は、主導権って意志の強さだけで保てるものではないと思っています。

たとえば、寝不足が続いていたり、体がだるかったり、肩こりや体調不良があったり、生活リズムが崩れていたりするだけで、頭は働きにくくなるし、判断力も落ちます。

本当はやりたいことがある。
本当はこっちに進みたい。
でも、なんとなく動けない。

そういうことって、普通にあると思っています。

それは、意志が弱いからというより、生活の土台が崩れているだけ、ということもかなり多いはずです。

だから僕は、前に進めないときに、いきなり根性論に行くのは少し違うと思っています。
まず見るべきなのは、その人の気合いではなく、生活の状態のほうだったりするんじゃないかと思っています。

また、主導権が乱れる原因は生活だけではありません。人や環境に振り回される外側の乱れもあれば、甘えや先延ばしのような内側の乱れもある。このあたりは、以前書いた下記の記事でも整理しています。

主導権には、外側と内側の2種類がある|人や環境だけじゃなく、自分にも振り回される

生活が乱れると、主導権は簡単に乱れる

ここで言う生活というのは、特別なことではありません。

睡眠、食事、体調、生活リズム、身体の不快、習慣、作業環境。
そういう、ごく当たり前のものです。

でも、こういう当たり前の土台が整っていないと、人は想像以上にパフォーマンスが落ちます。

頭がぼんやりする。
集中力が続かない。
やる気が出ない。
余計なことが気になる。

そしてその結果、本当はやりたいことに向かえなくなる。

僕の中では、これがかなり主導権が乱れている状態です。

主導権というと、何か大きな決断を自分でできるかどうか、みたいな話に聞こえるかもしれません。
でも実際にはもっと日常的で、もっと地味なところで乱れていくことが多い気がしています。

生活が整っていないだけで、人は簡単に「自分で選んでいる感覚」を失っていく。
だから僕は、主導権を整えるという意味で、生活を整えることはかなり重要だと思っています。

小さな不快は、意外と大きなノイズになる

ここで僕がかなり大事だと思っているのが、小さな不快です。

生活の中には、一つひとつは小さいけれど、地味に脳のリソースを取っていくものがたくさんあります。

たとえば、足が蒸れていて気になる。
足の匂いが不安で、座敷の場面や靴を脱ぐ場面で余計なことを考える。
部屋が散らかっていて、ずっと視界の端で気になる。
睡眠不足で眠い。
なんとなく体がだるい。
モヤモヤする予定が頭の片隅に残っている。

こういうものって、一つひとつはそこまで大きくないです。
でも、積み重なるとかなりのノイズになります。

脳のリソースが削られる。
集中力が落ちる。
気力も落ちる。
そして、自分が本当に時間や脳や体を使いたいことに向かうエネルギーが減っていく。

だから僕は、小さな不快を減らすことを、思っている以上に大事なことだと感じています。

主導権って、大きな目標を立てることだけで整うわけじゃない。
むしろこういう小さなノイズを減らすことのほうが、じわじわ効いてくることも多いです。

主導権を取り戻すのは、意外と小さなことだったりする

生活の主導権って、意外と小さなところにあります。

たとえば、本当は行きたくない予定があるのに、なんとなく流れでOKしてしまうことがあります。
その場では大丈夫そうに思っても、日が近づくにつれて「やっぱり行きたくないな」と思ってくる。
それでも断りづらさや流れで行ってしまうと、たいていその時間も少しモヤモヤするし、終わったあとに「この時間、いらなかったな」と感じることがあります。

別に相手が悪いわけではないし、その予定自体に価値がないとも限りません。
ただ、自分の本音をうすうす分かっていたのに、それを見ないまま進んでしまった感じが残るんですよね。

逆に、「今回は行かない」と決めるだけで、主導権が少し戻る感覚があります。
何か大きな成果が出るわけではなくても、自分で選べた感じがある。
僕の中では、それもかなり大事なことです。

また、足の蒸れや匂いのような小さな不快を減らすだけでも、人と食事をするときや小上がりに上がるときに余計なことを考えなくて済みます。
これもすごく地味ですが、生活の主導権にちゃんと関係していると思っています。

さらに、飲み物や習慣を少し見直して睡眠の質が上がるだけでも、次の日の集中力や気分はかなり変わります。
僕自身、コーヒーを一日中飲んでいた時期は、夜中に何度も起きたり、朝起きた時の口臭の不快感が気になったりしていました。
そこから、緑茶に寄せたり、午後3時以降はカフェインを控えたりしてみたら、夜中に起きる回数が減って、朝起きた時の口臭も気にならなくなり、かなり楽になりました。

こういう小さな調整って、見た目には地味です。
でも僕は、主導権を整えるのって、こういうことの積み重ねなんだと思っています。

このあたりは、それぞれ今後もう少し詳しく個別記事でも書いていきたいです。

僕にとってごきげんな時間とは

ここで少し、僕自身の話もしておきます。

僕にとってごきげんな時間は、いくつかありますが、特に大きいのは次のような時間です。

ひとつは、事業が前に進んでいるときです。

自分のやっていることが少しずつでも前に進んでいて、
「何かいいアイデアはないかな」
「これを形にしたら面白そうだな」
「仮説検証しながらもっと良くしていこう」
と考えられているとき、僕はかなりごきげんです。

もうひとつは、成長を感じているときです。

新しいことを学んだり、できることが増えたり、見える景色が変わったりする感覚は、僕にとってかなり大きいです。

そして、家族や仲間との時間もそうです。

ただ一緒にいるというより、ちゃんとその時間を味わえていること。
気持ちが散っていなくて、その場にいられていること。
そういう時間も、人生の主導権を握れている感覚につながっています。

つまり僕にとってごきげんというのは、ただ気分がいいことではなく、主導権が整っていて、その状態で自分が意味を感じることに向かえていることなんだと思います。

攻めるとは、「意味のあることに集中できること」

ここで僕がよく使う言葉に、「攻める」という言葉があります。

ただ、この言葉は少し誤解されやすいとも思っています。

僕が言っている攻めるというのは、無理して頑張ることではありません。
常に挑戦し続けることでもないし、自分を追い込むことでもありません。

僕にとっての攻めるは、自分が意味を感じることに、時間・脳・体を使える状態のことです。

事業が前に進んでいる。
成長を感じられている。
家族や仲間との時間を味わえている。
自分が本当に大事だと思うことに集中できている。

そういう状態は、かなり攻めている状態だと思っています。

逆に、やりたくないこと、意味を感じないこと、モヤモヤすること、お金にもつながらないこと、考えなくていいはずのことにずっとリソースを取られていると、かなりしんどいです。

だから僕は、何かを増やすことよりも先に、やらないことを決めることがすごく大事だと思っています。

やらないことが決まると、モヤモヤする時間が減る。
考えなくていいことが増える。
脳のリソースが空く。

その結果、自分が本当に向かいたいことにエネルギーを使えるようになる。

これが、僕の言う「攻める」です。

生活を整えるのは、立派に生きるためじゃない

生活を整えるというと、丁寧な暮らしとか、健康的な生活とか、ちゃんとした人になることみたいなイメージがあると思います。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
でも僕の感覚では、生活を整える目的はそこではありません。

僕が生活を整えたいのは、立派に生きたいからではなく、モヤモヤや小さなノイズを減らしたいからです。

そして、やらないことを決めたいからです。
考えなくていいことを増やしたいからです。

そうすると、時間・脳・体のリソースが空く。
そのぶん、自分が本当にやりたいことや、意味を感じることに向かいやすくなる。

整えるのは、そのためです。

だから僕は、生活を整えることは守るためでもあるけれど、そこで終わりではないと思っています。
整えるのは、最終的には攻めるためです。

整った状態をつくって、その状態でちゃんと動けること。
意味を感じることに向かえること。
そこまでいって、生活を整える意味があるんだと思っています。

そもそも僕が「整えること」を大事にしている理由自体は、以前書いた柿の記事で整理しています。整えることは目的ではなく、自分が意味を感じることに向かうための手段だ、というのが今の僕の基本的な考え方です。

整えるのは、守るためじゃない。攻めるためです|主導権があると人生は前に進みやすい

今この瞬間を少し整える、でもいいと思っている

とはいえ、毎日ずっと整っているわけではありません。

眠れない日もあるし、だるい日もあるし、何もしたくない日もある。
生活が乱れる日も、普通にあります。

だから僕は、いつも完璧に整った状態を目指したいわけではありません。

それよりも、今この瞬間を少し整えるくらいの感覚のほうが、たぶん現実的だし、自分にも合っています。

今日は少し早く寝てみる。
今日はカフェインを減らしてみる。
今日は行きたくない予定を無理に入れない。
今日はひとつだけ小さな不快を減らしてみる。

それだけでも、主導権は少し戻ってくることがあります。

そして、そういう小さな調整を積み重ねていくことで、主導権が整っていて、しかも自分が向かいたいことに向かえている、
かなりごきげんな状態に近づいていくんだと思っています。

まとめ

僕は、生活が乱れると、人生の主導権も乱れると思っています。

生活が乱れると、時間・脳・体のリソースが削られる。
その結果、本当はやりたいことに向かいにくくなる。
それは意志が弱いというより、土台の問題であることもかなり多いはずです。

だから、前に進めないときにいきなり気合いを入れる前に、まず生活を少し見直してみる。
小さな不快を減らす。
やらないことを決める。
考えなくていいことを増やす。

そうやって主導権が整ってくると、自分が本当に意味を感じることに、時間・脳・体を使えるようになります。

ちなみに僕は、「自分のやりたいことは何だろう」と考え続けるよりも、まずは
「これはやりたくないな」
「これは地味にモヤモヤするな」
と感じるものを減らしていくほうが、人生は動きやすくなることが多いと思っています。

やりたいことを探す前に、やりたくないことを減らす。
整えることで、余計なノイズを減らす。
そのほうが、主導権は戻りやすいです。

そして主導権が整った状態で、事業が進んでいる。
自分自身の成長を感じている。
家族や仲間と有意義な時間を過ごせている。

そんなとき、僕はかなりごきげんです。

生活を整えるのは、立派に生きるためじゃない。
自分の人生の主導権を取り戻して、自分が本当に向かいたいものに向かうためです。

このブログではこれからも、そういう思想だけでなく、そこにつながる生活の実験ログも含めて書いていこうと思っています。

たとえば最近だと、コーヒーを減らして緑茶に変えてみたことで、睡眠やお腹の調子だけでなく、気にしなくていいこと自体がかなり減った感覚がありました。そういう実験の話は、下記の記事で書いています。

コーヒーを減らして緑茶に変えたら、気にしなくていいことが増えた話
ABOUT US
つむくん
僕は、人生で一番大事なのは「ごきげん」だと思っています。
ただ、ごきげんは無理に作るものではなく、主導権を持てているときに自然と生まれるものだと感じています。
いろいろ試してきて、主導権を取り戻し、自分で決めて動き、積み上げていくことで、人生は前に進みやすくなることを体感してきました。
このブログでは、主導権を取り戻しながら、自分を更新していく過程や、その中で試していること、気づいたことを思考ログとして記録しています。
自分で決めて、自分を更新していく過程を、そのまま残しています。