こんにちは。ごきげんライフ探求家のつむくんです。
僕は、人生で一番大事なのは「ごきげん」だと思っています。
僕の中でのごきげんは、主導権を持っている感覚です。
いろいろ試してきて、主導権が整っていると人生は前に進みやすいんだな、ということを体感してきました。
このブログでは、主導権を整えながら攻め続けるための思考を記録しています。
ビジネスや生活の中で試していることや、そこから得た気づきも書いています。
今回は、その主導権についてもう少し細かく整理してみます。
僕は、主導権には大きく分けて、外側の主導権と内側の主導権の2種類があると思っています。
人や環境に振り回されることでも、主導権は乱れる。
自分の習慣や甘えや弱さに引っ張られることでも、主導権は乱れる。
この記事では、その2つの違いと、なぜ分けて考えることが大事だと思っているのかを書いてみます。
読んだあとに、自分が今、何に主導権を奪われているのかを少し見分けやすくなっていたら嬉しいです。
でも、主導権ってひとつのものじゃないと思っています
ここからが今回の本題です。
主導権という言葉って、なんとなく使うと少し広すぎる気がしています。
「主導権を持つ」と言っても、何に対してなのかが曖昧だと、結局どこが乱れているのかも分かりにくい。
自分が何に引っ張られているのかが見えないままだと、整えようとしても整えにくいです。
僕はその感覚があったので、主導権を少し分けて考えるようになりました。
今のところ、自分の中では主導権には大きく2種類あると思っています。
- 外側の主導権
- 内側の主導権
です。
外側の主導権と内側の主導権は、見た目は少し違います。
でも、僕の中では共通していることがあります。
それは、本当は自分がこっちの方がいいと思っているのに、それを選べていない状態だということです。
人や環境に引っ張られて選べていないこともあるし、自分の習慣や弱さに引っ張られて選べていないこともある。
どちらにしても、自分でハンドルを握れていない感じになる。
だから僕は、主導権には外側と内側の2種類があると考えています。
もちろん、全部が自分のせいという話ではありません。
ただ、外側の問題であっても、内側の問題であっても、最終的には「自分で選べていない感覚」として自分に返ってくる。
僕はそこに、主導権の乱れを感じています。
外側の主導権とは、人や環境にハンドルを握られている感覚です
1つ目は、外側の主導権です。
これは、人や環境、仕事、状況など、自分の外にあるものによって、自分の選択が奪われている感じです。
たとえば、
- 人の反応を気にしすぎて動けない
- 周りの期待に合わせすぎてしまう
- 仕事に飲み込まれて、自分の時間も頭もなくなる
- 環境の影響を受けすぎて、気分や判断が大きく揺れる
- SNSや世の中の空気感に持っていかれる
こういうのは、僕の中では外側の主導権が乱れている状態です。
もちろん、人や環境の影響をゼロにするのは無理です。
社会の中で生きている以上、周りとの関わりをなくして生きることはできません。
でも、その中でも必要以上に外側に引っ張られている時ってあると思うんです。
本当は自分で選びたいのに、気づいたら周りに選ばされている。
本当はこうしたいのに、環境の流れにそのまま乗っている。
そういう感覚が強い時は、外側にハンドルを握られている感じがします。
たぶん、外側の主導権が乱れている時って、出来事そのものよりも「自分で選んでいる感じがしない」ことがしんどいんだと思います。
内側の主導権とは、自分の中にハンドルを奪われている感覚です
もう1つは、内側の主導権です。
これは外側とは逆で、自分の内側に引っ張られて動けなくなる感じです。
たとえば、
- やろうと思っているのに先延ばししてしまう
- 悪い習慣をやめたいのにやめられない
- 甘えや怠さに流される
- 依存してしまう
- 怖さや不安で動けなくなる
- 自分の弱さに引っ張られて、やりたい方向に進めない
こういうのは、僕の中では内側の主導権が乱れている状態です。
外側の主導権は「周りに振り回される感じ」ですが、内側の主導権は「自分に振り回される感じ」です。
これって、外から見えにくいぶん少し厄介です。
環境や他人のせいなら分かりやすいけど、自分の中の問題って見たくないことも多いし、言い訳もしやすい。
しかも、誰かに邪魔されているわけじゃないので、余計にしんどさが言語化しにくいです。
でも実際には、外側に振り回されるのと同じくらい、内側に引っ張られて主導権を失うこともあると思っています。
僕自身、むしろこっちの方が難しいと感じる時もあります。
どちらかだけ整っていても、前に進みにくいです
ここが結構大事だと思っています。
外側の主導権と内側の主導権は、どちらか片方だけ整えばいいわけではありません。
たとえば、環境がすごく良かったとしても、自分の習慣や弱さに引っ張られていたら前には進みにくいです。
逆に、自分の内側をかなり整えられていたとしても、外側に飲まれすぎていたら苦しくなる。
つまり、人は
- 外側にハンドルを奪われても進みにくいし
- 内側にハンドルを奪われても進みにくい
んだと思います。
だから主導権を整えるという時は、「今のこれは外側の問題なのか、内側の問題なのか」を分けて考えることが大事になる。
この整理があるだけでも、かなり見え方が変わります。
なんとなくモヤモヤしていたものが、「あ、これは外側に引っ張られてるんだな」とか「これは自分の内側の問題だな」と見えるようになるだけで、少し扱いやすくなります。
僕は、何に主導権を奪われているのかを分けて考えるようにしています
以前は、ただ漠然と「なんかしんどいな」と感じることが多かったです。
でも、そのしんどさが
- 人や環境に振り回されている苦しさなのか
- 自分の習慣や弱さに引っ張られている苦しさなのか
が分かれていないと、対処もしづらいんですよね。
外側の問題なのに、自分を責めてもあまり意味がないこともある。
逆に、内側の問題なのに、環境のせいにしていても前には進みにくい。
だから僕は、まず「今のこれはどっちなんだろう」と考えるようにしています。
もちろん、きれいに分かれないこともあります。
実際は外側と内側が絡んでいることも多いです。
たとえば、仕事が忙しすぎるという外側の問題があって、そこから生活が崩れて内側も乱れる、みたいなことは普通にあります。
でも、雑でもいいから分けて見るだけで、だいぶ違います。
何に主導権を奪われているのかが少し見えるだけで、整える対象がはっきりしてくるからです。
この整理があると、整える対象が見えやすくなります
僕がこの2つを分けて考えるのは、理屈としてきれいだからではありません。
単純に、その方が整えやすいからです。
外側の主導権が乱れているなら、
- 環境を変える
- 距離を取る
- 期待を調整する
- 情報を遮る
- 仕事の持ち方を見直す
みたいな方向になるかもしれません。
一方で、内側の主導権が乱れているなら、
- 習慣を見直す
- 依存先を変える
- 小さく行動する
- 自分の弱さを前提に設計する
- 生活リズムを整える
みたいな方向になるかもしれません。
同じ「主導権を整える」でも、外側と内側では打ち手が全然違うことがあります。
だからこの整理は、自分の中ではかなり大事です。
生活も、お金も、仕事も、全部この2つにつながっている気がしています
このブログでは、
- 生活の主導権
- お金の主導権
- 仕事の主導権
- 実験ログ
みたいなことを書いていこうと思っています。
一見するとバラバラに見えるかもしれませんが、僕の中では全部つながっています。
たとえば、生活が乱れるのは内側の主導権の問題かもしれないし、お金の不安が強すぎるのは外側と内側の両方が絡んでいるかもしれない。
仕事で消耗しすぎるのは外側の主導権の乱れかもしれないし、そこから抜けられないのは内側の主導権の問題もあるかもしれない。
そうやって見ていくと、主導権という言葉が少し立体的になります。
ただ「自分軸を持とう」みたいな話ではなくて、外側と内側のどちらでハンドルを失っているのかを見るという整理にすると、かなり現実に使いやすくなる気がしています。
睡眠や体調、小さな不快がどう主導権を削っていくのかは、次の記事で具体的に書いています。
主導権を整えることは、外側と内側の両方と向き合うことだと思っています
僕は、ごきげんでいることが大事だと思っています。
そしてごきげんでいることは、主導権を持っている感覚につながっていると思っています。
ただ、その主導権はひとつのものではなくて、外側にも内側にも乱れ方がある。
だから、主導権を整えるということは、人や環境との関係を見直すことでもあるし、自分の習慣や弱さと向き合うことでもあるんだと思います。
ちなみに僕は、主導権を整えるのは、ただ守るためではないと思っています。
整える理由そのものについては、前に別の記事で書きました。
よければこちらもあわせて読んでもらえると、このブログの考え方がつながりやすいと思います。
どちらか片方だけでは足りない。
外側だけでもないし、内側だけでもない。
この両方を少しずつ見ながら整えていくことが、結局ごきげんにもつながるし、前に進みやすい状態にもつながる。
今のところ、僕はそんなふうに考えています。







